
僕の名前は短パン。ここのお店ではそう呼ばれている。足繁く通って早2年になるが、未だに本名で呼ばれたことはない。短パンと呼ばれるようになったのは、真冬の寒い時期に短パンでお店に来るから。いつも短パンではないが、一度付いてしまった印象は覆せないのだろう。
このお店には色んな名前の人がいる。「王子」「熊さん」「姫」「渡」など。勿論すべて本名ではない。みんなお店の人が付けた名前だ。
どうしてその名前が付いたのかは聞く必要もない。その人を見れば、なんとなく名前が付いた理由が分かるから。
いつもビシっとスーツ姿で決めて、ちょっと上品な佇まいな王子。ちょっと丸くて動物っぽい姿の熊さん。ちょっとわがままそうな振る舞いの綺麗な女性は姫。渡哲也そっくりのオヤジは渡。
お互いの本名も連絡先も知らないのに、親友よりも顔を合わせる人たち。暖簾をくぐって姿を現すと、皆軽く「こんばんは」と挨拶をして酒を煽る。
とくに席順もない。その時の混雑状況次第で、空いている所に入るだけ。隣にいる人と熱く語るときもあれば、口うるさい渡の話で、店内にいる人すべてで盛り上がるときもある。
どんな仕事をしているのか、どんなプライベートを過ごしているのか。分かっているようで分かっていないような関係性。SNSの繋がりなんかよりも、よっぽど緩くて自由で深い関係。
「みんなそれぞれ違う生活があって、知らない人同士が同じ場所でお酒を飲めるからいいんですよ」
有名な作家でも作れないような話を、いつも渡が語ってくれる。その言葉の深みから、彼の生き様を伺い知ることができる。彼ほどの男が、こんな小さな立ち呑み屋に通っているのか。彼に相応しいお店は、他にもたくさんあるはずなのに。渡が僕を認めてくれるようになったら、いつか渡に聞きたいと思っている。どうしてこのお店に来たのか。ここに来ただけではなく、足繁く通うようになった理由も。
その日が来るのかは分からないが、僕の中で勝手に考えた、彼が来るようになった理由はある。
「若いやつも年寄りもお偉いさんも、なんのしがらみも無く話せるから」
山ほど飲食店はあるのに、人の顔が見えるお店が無くなりつつある。いつからマニュアル化された仕事で、さばくだけのお店ばかりになってしまったのだろうか。あらゆる物がデジタル化されていく中で、人間の仕事が一番デジタル化してしまった。皆それぞれ違うのに、その違いを活かすことができなくなった現代。AIで仕事が奪われると嘆く暇があったら、自分を見つめ直してみればいい。
ドジでノロマな亀にしかできない仕事もある。愛想のない女にしかできない仕事がある。要領の悪い不器用な男にしかできない仕事がある。
「その人にあった所にはめてやればいいんだよ」
何も難しいことじゃない。僕らは人間だから。できないことなんてない。
「平等じゃないからいいんだよ」
立ち呑み屋とは思えない金額を支払った渡は、また名言を残して立ち去った。次に彼は何を語ってくれるのか。きっとそう遠くないうちに、この場所で聞けるだろう。
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